一度は読んでおきたい人工透析の歴史と進化
人工透析は腎不全の治療としてなくてはならない治療法です。日本では2020年末現在、34万7,671人の患者が行っている人工透析治療が、どのような歴史を歩んで進化してきたかを人工透析の歴史年表でチェックしてみましょう。
人工透析の歴史年表
年 | 人物 | 内容 |
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1854 | Thomas Graham | のちの透析につながる膜を用いた拡散の原理が発見される。 |
1913 | Abel JJ Rowntree LG Turner BB | 世界で最初の動物への人工透析の実施 動物の血液を体の外に取り出して、血液透析を行った。 セロファンに似たコロジオンという素材でつくられたチューブと、ヒルの唾液から抽出したヒルジンを抗凝固薬として使用。 |
1916 | McLean Hass G | ヒルジンは副作用やアレルギー反応を多く引き起こしていたことから、安全な抗凝固薬の開発が始まる。 哺乳類から血液抗凝固薬としてヘパリンを分離 動物実験で初めてヘパリンを使用 |
1926 | Hass G | 世界で最初の人体への人工透析の実施少量の血液を体から取り出し、コロジオン膜とヒルジンを用いて透析を行い、再び血液を体に戻したが、腎不全患者を救命することはできなかった。 |
1945 | Kolff WJ | 世界初の人工透析治療が成功回転ドラム式透析器を開発・製作し、Kolffの17例目の腎不全患者の救命に成功。 |
1948 | Kolff WJ Olson E | Kolff-Brigham 回転ドラム型透析器の開発 米国エンジニア Olson Eの支援を受けて回転ドラム式透析器を改良した |
1950 | 朝鮮戦争において、クラッシュ症候群で急性腎不全を起こして死亡する多くの兵士を人工透析で救い、人工透析が世界的に注目されるようになった。 | |
1956 | Travenol社 | コルフツインコイル型透析器(小型使い捨て血液浄化器)の量産開始 |
1960 | Kill F Scribner BH | 長時間の透析治療が行えるスタンダードキール型透析器を開発(多層型の平板透析器)<>世界で最初の外シャントこれまでは、血管が破壊されると透析が行えなくなり、透析回数に制限があったが、反復、継続しての透析治療が可能となり、慢性腎不全患者への治療が可能になった。 開発された外シャントは皮膚の外へ設置するため、事故が起こりやすかった。 |
1962 | Cimino JE | 内シャントを提案 |
1962-1965 | ヨーロッパで人工透析が普及 | |
1964 | Shaldonら Scribner ,Bobb | 看護師と患者の協働による自己血液透析 世界で最初の在宅血液透析装置を用いての透析 |
1966 | Brescia MJ | 皮膚下に設置可能なテフロン製内シャントを考案 |
1967 | MR社の人工腎臓装置を広島大学、新潟大学の医学部付属病院に納入 日本で血液透析の利用が公的医療保険の対象となる |
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1967~ | 血液濾過(HF)や血液透析濾過(HDF)療法が開発される | |
1969 | 日機装 | 国産初となる人工腎臓装置の「モデルBN」を自社開発。厚生省の認可を取得 |
1971 | Cordis-Dow社 | 世界で初めて使い捨ての中空糸型透析器が登場 |
1971~ | 新しい素材の透析膜が開発される | |
1978~ | オンライン血液濾過透析の開発 |
・フレゼニウス メディカル ケア ジャパン株式会社 血液透析療法の歴史
・人工腎臓(血液透析)の歴史 医器学 Vol.70No.9 (2000)
・血液浄化器のこれまでとこれから
・NIKKISO 1969年 日本初の「人工腎臓装置」の開発に成功
・「人工透析患者の医療サービス利用-北海道X市における検証-」国立社会保障・人口問題研究所
人工透析の進化
人工透析の歴史は、のちの透析につながる膜による拡散の原理の発見が始まりです。
1913年にはAbelによって世界で最初の動物への人工透析が行われ、1926年にHassが人体への人工透析を世界で初めて実施しました。このときの透析効率は24時間で2gの尿素を除去するのみであり、患者を救うことはできませんでした。
その後、1945年になって6時間で35gの尿素を除去できる回転ドラム式の透析器がKolffによって開発され、世界で初めて人工透析治療で患者を救うことができたのです。透析器の改良を経て、1950年の朝鮮戦争では、クラッシュ症候群で急性腎不全に陥った多くの兵士の命が人工透析で救われました。このことが人工透析治療の効果を世界に広めるきっかけとなったと言われています。
当初、透析治療は血管が破壊されてしまうと終了せざるを得ませんでしたが、1960年にシャントが開発されてからは、繰り返し透析治療を行えるようになりました。
より高性能でコンパクト、かつ操作が簡単な透析器をめざして改良が重ねられるとともに、透析効率が良く安全に使用できる抗凝固薬や透析膜、シャントの開発、作製も進められてきました。1962年以降にはヨーロッパで人工透析が普及し、1967年には日本でも血液透析治療が公的負担の対象となっています。
1967年以降に血液濾過(HF)や血液透析濾過(HDF)、1978年以降にオンライン血液濾過透析療法といった血液透析よりも透析効率が良く、安全に実施できる人工透析療法も続々と開発され、現在に至っています。
まとめ
透析治療を必要とする患者は年々増加しており、人工透析は腎不全の患者にとって必要不可欠な治療法です。
透析につながる拡散の原理が発見されてから約168年が経過し、世界で最初に人体への人工透析治療で救命に成功してから約77年が経ちました。振り返ると長い透析の歴史と、開発・作製を繰り返し行ってきた進化があったからこそ、大勢の透析患者の救命、延命が図られています。
近年もなお、安全な透析治療に向けて、透析膜や浄化器の開発がすすめられています。ご自身やご家族が受けられている人工透析の歴史と進化について、目を向ける機会となると嬉しいです。
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